新作も獰猛な沈黙満載。だからゴダールはやめられない!

まるで、序、破、急。起承転結の自閉した世界から永遠の逃走(闘争)を繰り広げる映画作家ジャン=リュック・ゴダールの新作「ゴダール・ソシアリスム」は、あたかも能の形式を踏襲したかのような全3楽章スタイルで展開する。「こんな事ども」、「どこへ行く、ヨーロッパ」、「われら人類」と挑発的なフレーズに名づけられたそれぞれは、直接的、間接的、俯瞰的に映像と私たちの関係をずらし、よみがえらせていく。

タイトル通り、社会、あるいは世界が主題として選ばれている、と言えなくもない。豪華客船、子供、六大歴史都市といった何某かの暗喩を匂わせるイマージュが具体として、象徴として映し出され、人間模様、思考、そしてつぶやきとして出会い系に定着してはいる。しかし、例えば風刺、などというおさまりどころが明瞭で、結局のところ卑小なものでしかない安心に身を任せてしまっては、まなざしが飛翔する機会は失われてしまうだろう。

例えばここには獰猛な沈黙がある。おなじみの映像、音響、言葉の三位一体を、ときに、家出サイトまるごと包み込むようなこの獰猛な沈黙。平然と超然とを、過去と未来とを、銃弾のごとき編集が連結させていくことも、単純な終末と深遠な火遊びをかきたてる饒舌の技術が、精緻な断崖や豊穣の海を描き出すほどに達成されていることも、すべては、あらゆるノイズを屈服させていくこの獰猛な沈黙のために存在しているかに思える。注視の悦楽を、混じりっ気なしで持続させるこの獰猛な沈黙は、けれども主義や意志や美学というよりは、あからさまに無邪気なゴダールの性格そのものを照射する。馬鹿馬鹿しいほどぶっ壊れた劣化映像の挿入も、パソコン画面上での自堕落な行き来も、ちっとも先鋭的でも硬質でもなく、私たちの脳内に、図々しくもこの獰猛な沈黙を棲まさせるための、律儀なスペース確保の技に思えるのだ。実は、iPadに新しいアプリケーションを迎え入れるような気楽さとともにある、この獰猛な沈黙。その快適な連鎖。だから、ゴダールはやめられない。